2019/06/11

無縁の住人(再)

 もしかしたら以前にどこかで書いたかもしれないが、遠い昔に「無縁の人」という短編小説を読んだ記憶がある。筒井康隆か星新一だったような気がするが、そうでない気もする。Googleなどの検索では出てこない。


 小説の内容はこうだ(ったと思う)。

 例えばバスに乗っていて道を歩く人を見ると、電柱などに邪魔されてどうしても顔が見えないことがある。相手もこっちも動いているのになぜかちょうどいいタイミングで電柱が間に入り込む。通り過ぎざまに振り返ってもやはり顔を見ることができない。こういう人は本来縁がない人なので無縁の人という。その縁を破って無理やり顔を見ようとすると・・・。という話。

 今までにどうしてもお近づきになれない、というか縁がないんだなーと思わざるを得ないものがいくつかある。思い出すのはある輸入車を購入寸前までいったこと。並行モノでショップの名前も忘れちゃったけどエンジンに手を入れてヘッドライトや外装をラリー仕様にして見積もりも出して、までいったんだけど結局いろいろあって買えなかった。それ以降その車を買う機会はなく、それどころか実車も見ていない。

 ジムニーもそう、というかこっちは一度入手した。乗るのにもいじるのにもジャストサイズ、これ以上はない、これこそ自分の待ち望んでいたものと思ったが、(そんなつもりもなかったのに)家庭の車として使うには全く役立たずだったので泣く泣く手放した。この先手に入れることはないだろう。強引に乗り続けていたら何らかの恐ろしいことに巻き込まれていたかもしれないと思うことにする。やはり縁がなかったんだろうね。

 ちなみに、乗っていたのはJB43の10型(最終型)で、購入前に試乗を頼んだら埼玉県内に試乗車はないと言われた。注文したらしたで数が出てないのでいつラインに乗るかわからない、だから納車時期がわからないと言われた。それほどまでに普通車は人気がなかったはずなのに、新型は各ディーラーそれぞれに試乗車を置くような大人気。一体どうなってるんだ。

 また、これは自分が無礼であることの宣言でもあるんだが、中学校、高校、大学、就職、帰郷と居場所が変わるたびにそれまで一緒だった人との縁がブツリと切れる。高校に行ったら中学校の同級生と顔を合わせたのは特殊な用事で集まった一回だけで、その後は今に至るまで数人にしか会っていない。大学では高校の同級生の一人だけとは付き合いがあったが、現在に至るまで同窓会も顔を出していない。就職してからはその縁すらなく、最初の就職場所から現在まで持ち越して交流のある人はおそらく一人だけ。TwitterなどSNS上のやり取りも殆どない。その結果現在定期的にやり取りしたり遊んだりする人はいない。自分が無縁の人である。

「友人とは、異なる道を同じ心で進む者である」というどこかの格言があるが、同じ心や縁を持つ者がこの世にいないのは、寂しい人生だなと思う。

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