ちょっと前に流行った、「水に語りかけるとうんたらかんたら・・・」ってやつ。水ってあれだ、H2Oでしかない。そこに何が起こったかを主張するのは結構だと思う。騒いで衆目を集めれば儲かるから突飛なことを言うわけであって、悪意(儲けたいというのは悪意ではないよね)はないものと思いたい。学術的なことは別として。
理解し難いのはそれに引っかかっちゃうヒトたち。自分で考える、という習慣が欠落していると考えざるを得ない。ちょっと考えればわかるだろう、と苦笑いするのは考える習慣があるヒトで、そのちょっとがないヒトがいる。その結果失敗すると、今度は”~って言ったじゃないか”、”~って書いてあるのに”なんて言い始める。ちょっとの反省もない。
この、ちょっとがないヒトたちは、ネット上でとても目立つ。何しろ言葉通り考えなしに文章を打っちゃったりするんだよね。何か指摘されればすぐキレる。よく言われるようにTwitterだと他のものよりよく発見されやすい。
先日の、というかもはやお約束とさえ言える虚構新聞の記事にまつわる騒動なんか典型的。そもそも虚構新聞の「虚構」とは何だろう、からして欠落していると思われる。酷いのになると「ヒトが勘違いするような記事を書くな」なんてビックリ発言が飛び出しており、そう言っちゃうヒトってのは"勘違いしちゃった自分"と"勘違いしなかった自分以外のヒト"の違いについて考えるなんてことは絶対にしないんだろうな。そのうち圧縮新聞にも噛み付く人が出てくるんじゃないかと期待してはいるんだけどね。
確かに意図的なミスリードは存在する。この前丁度G+に投稿したが、こういったタイトル。
某大阪市長の発言手法は”独裁者”アドルフ・Hに似ている。
アドルフの手法として、貶めてから持ち上げる、上手に敵を作る、などを駆使しており、市長も同様の話法を使うと解説し、また文中に繰り返し”独裁者”という言葉を用いている。しかし、独裁者かどうか、というのと、どういう話術をつかうか、というのとは全く関連がないことに気づくべきである。ぼーっと見ていると混同する。恐らく著者か編者は混同しているかわかっていて知らん顔をしている。独裁者と同じ喋り方をするヒトは独裁者である、って言われるとおかしいなって気づくけど、この文章はそう言っている。
ヒトに踊らされる人生なんかつまらない。でも、「水に向かってしゃべるだけで幸せな気分になれるんだから安いもんでしょ」と言われてしまえば返す言葉も見つからないんだけどね。
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